江戸時代に出現した鯉のぼり。

◆わが家に男児が誕生したと天の神に告げ、「この子を守ってやって下さい」と守護を願って目印にしたものが鯉のぼりです。

「鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける」という中国の故事があります。
「登竜門」という「男児の成長と出世を願う」言葉になりました。

もともと鯉は、清流だけでなく、池でも沼でも生きられる生命力の強い魚です。
この中国の伝説から、鯉のぼりは環境の良し悪しにかかわらず、立派に成長し、立身出世するように願って飾られるようになったとも言われています。

江戸時代、武家に男の子ができたら玄関の前に馬印やのぼりを立てて祝う風習がありました。それが一般にも広まってのぼりを立てるようになり、庶民によって鯉のぼりが考案されました。

鯉のぼりは町人の家庭でよくあげられるようになったと言われています。
登竜門の話を<鯉のぼり>という形で、青空を泳がせるという発想は、世界に類を見ない日本人独特の感性です。

※発案者はどのような人物だったのでしょうか?

広重の浮世絵に描かれた鯉のぼり。

歌川(安藤)広重の名所江戸百景の「水道橋駿河台」。
鯉のぼりが大胆な構図で描かれています。

武家が戦の陣地に立てる旗状の幟(のぼり)や吹流しを掲げたのに対して、町人は独自文化として鯉のぼりを生み出しました。 この絵は、本郷台地の南西の高台から、旗本、御家人の屋敷がビッシリと並ぶ飯田町から番町一帯を眺めたものです。

遠方の武家屋敷一帯には、鯉のぼりは泳いでいないので、鯉のぼりが泳ぐのは中央右の三崎稲荷と思われる場所のみです。
このことからも、鯉のぼりが江戸の町人文化のであったことが窺い知れます。

フランスの空を泳いだ鯉のぼり。

【クレマンソーの旗】

第一次世界大戦頃の、
フランスの宰相であったクレマンソーは、日本から送られた大きな鯉のぼりを庭に建てて楽しんでいたそうです。
その鯉のぼりが「クレマンソーの旗」として、フランスで珍しがられたなんて楽しい話です。

クレマンソーは、
日本の茶道具「香合」の蒐集家としてみ有名で、彼の収集品は安土桃山時代から江戸時代末期にかけての香合が約3,000点もあり、現在はクレマンソー・コレクションとして一部が公開されています。

フランスの航空母艦にもクレマンソーの名前がついたものがあるとのことです。